ローリング・ヒルズ・カベナント教会・日本語ミニストリーの歴史と主のみわざ

ローリング・ヒルズ・カベナント教会(以下RHCC)日本語ミニストリーは、ロサンゼルス国際空港から三十分ほどの、太平洋を眺望できるパロス・バーデス半島に位置し、国際カップルも集うアットホームな教会です。日本語ミニストリー設立に携わった宇野雄司、澄江牧師夫妻が二〇一二年九月に日本に帰国し、翌年の今年二月に寺嶋牧師夫妻を正式に迎えました。新しい皮袋として、より一層、ぶどうの木であるイエス・キリストにとどまり、多くの実を結ぶことができる様、これからもますますイエス様につながっている教会として歩んで行くことを目指しています。

 

◆英語部の祈りから始まる 

 

RHCC英語部は、今から五十年以上前に、数名の信徒たちがメル & メアリー・ナイグレン夫妻のリビングルームに集まって祈り会を持ち始め、現在のような教会へと発展しました。ナイグレン夫妻は後に、日本語ミニストリーの開拓のための立役者の一人となります神様は、この教会の中にサウスベイに住む全ての異民族の救いを祈り、重荷を持つ人たちを起こしてくださいました。宇野牧師夫妻が一九九九年夏にロサンゼルスに来た当時、ローカル・アウトリーチ(地域伝道)の責任者だったバージル・ベスト牧師夫妻は、特に日本人の救いに重荷を持って祈っていました。神様は、このバージル先生の祈りに答え、宇野牧師夫妻を日本からサウスベイに遣わしてくださったのです。

 

トーランス、パロスバーデスを含むサウスベイは、駐在や永住で多くの日本人が住む地域です。当初、宇野師は、神学の学びの傍ら、土曜日の早朝に日本人男性を対象にした「しもべゼミナール」という聖書の学びと分かち合いのグループを始めました。澄江夫人は、その数年程前から始められていた「聖書とお茶の会」で、日本語による聖書のみことばの学び会をリードすることになりました。二人のアメリカ滞在は一年のサバテイカル(研修年)でしたので、教会を開拓することは計画していませんでした。しかし、神様の思いは人間の思いとは違っていました。短い滞在の期間に、数人がイエスを救い主として信じ、バプテスマに導かれました。また、みことばによる救いを求めて「聖書とお茶の会」に参加する駐在員の婦人たちも増えていました。マタイの福音書9章37、38節「そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」とのことばが夫妻の心に響き、収穫のための働き人として用いていただきたい、そして収穫のための働き人を育て、サウスベイから日本と世界へ働き人を送り出したいという願いが与えられて、主に祈りました。

 

祈りの結果、二〇〇〇年三月の第一聖日から、ノース・キャンパスの教室で、礼拝を捧げるようになりました。すでにRHCCでスモール・グループなどを通して、ミニストリーをしていた平田ベッキー師のグループの兄弟も加わって、主に賛美を捧げ、日本語ミニストリーの牧師として招聘された宇野師から、日本語による説教を聞くことができるようになりました。また、当時RHCCの宣教師で、カザフスタンから一時帰米をしていたチャールズ&由美子・ウエラー夫妻(夫人は日本人)も、日本人への宣教に重荷を持っていました。このように日本人宣教のための良いチームが与えられました。

 

二〇〇一年五月には、二人の兄姉が信仰決心をして、バプテスマの恵みに預かりました。その後この家族は、兄弟の夫人や日本にいるお母さんも救われて、バプテスマを受けました。この頃は日系企業の駐在員も今より多く、聖書とお茶の会からも、イエスを信じる婦人たちが次々と起こされていました。二〇〇〇年から二〇一二年までの十二年間に、イエスを救い主として信じ、信仰に導かれた人は、四十人程となりました。教会では、主イエスを信じてクリスチャンとなった兄姉たちとは、できる限り個人的に会って、共に祈り、みことばを学ぶことに心を配り、一対一のキリストにある弟子作りを進めてきました。現在、この内の半数以上は日本へ帰国したり、転勤で他州やカナダなどに移動していますが、どこに行ってもイエス・キリストの弟子として成長し、地域の教会で礼拝を守っていることを聞く時、主の御名をあがめています。

 

二〇一〇年秋には、聖書とお茶の会の帰国者によって、東京でも学びが始まりました。ロサンゼルス滞在中に毎週みことばを学んでいた婦人たちが、日本へ帰国後もみことばを学びたいという希望があり始まったものです。御茶の水クリスチャンセンターに月一度集まり、小グループでの学びを行う他、帰国者特有の問題を分かち合い、祈り合っています。アメリカ滞在中に求道中だった婦人たちも、参加し、集っています。

宇野ファミリー写真


宇野雄司牧師夫妻と娘さん。2011年10月、宇野師のお誕生日祝会にて。

 

 

◆信徒が主役の教会を目指して

RHCC日本語ミニストリーの教会形成にあたって、以下の三つのことに心が配られました。

 第一にミッション・チャーチ(伝道に力を入れる教会)です。これは伝道を中心とした教会形成で、この教会を通して、どれだけの多くの人が福音を聞くチャンスを持っているかということを大切にしてきました。ですから、永住権を持っている人たちへの宣教と共に、将来的には教会の柱になる可能性は少なくても、一時的にサウスベイに住む日本からの駐在員の宣教にも力を入れてきました。

第二に、信徒が主役の教会を目指してきました。これは、信徒が牧師の企画する働きに参加するのではなく、信徒の働きを牧師がサポートするということであり、主役は信徒であるように、また、宣教の所有権を信徒が持てるように心がけてきました。牧師は、みことばによって信徒を養い、建て上げることに専念しました。エペソ書4章12節の実践です。

「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり・・・。」

第三に、チーム牧会を目指しました。これは、牧師一人によって、教会の重要事項を決めるのではなく、三人の牧会チームメンバー(牧師、牧師夫人、信徒代表の金成兄)によって、意思決定をしてきました。この三人が心を合わせて祈り、労することを主は喜び、祝福してくださいました。

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ18章19節 )

以上のような宣教理念で始まった日本語ミニストリーですが、初めの五年程は、クリスマスの伝道会(キャンドルライト・サービス)などの教会のイベントは、牧会チームとその時々に選ばれた人たちで企画運営をしていましたしかし、二〇〇六年頃からは信徒の中から六人の宣教奉仕チームが任命され、彼らを中心に企画運営をするようになりました。そして、徐々にですが、様々な教会の行事は宣教奉仕チームが担当するようになり、教会の目指す宣教方針や個々の信徒たちとの祈り、カウンセリングなどは、牧会チームが担当するようになりました。このことは、信徒たちが、教会の宣教を自分の責任として受け止め、積極的に参加し、家族や友人を誘ってくるようになる助けになったと思います。また、時々行う伝道イベントだけでなく、ぶどうの木(母と子のための子育て支援の会)のような、週日の日常的な活動も信徒たちによって始められ、育児に奮闘中の若い母親と幼児を対象に、絵本の読み聞かせや手遊び、おもちゃ作り他、必要に応じて子育てセミナー(夫婦向け)などを企画して、福音を伝えています。そして、二〇一〇年からは、日本語による一週間のサマー・バイブル・デイ・キャンプや金曜日の夕方の子供ミニストリーなどを通して、将来を担う子供たちへの宣教にも力を入れるようになっています。

二〇一二年九月、宇野牧師夫妻は、これからも神様がサウスベイに住む日本人の救いのために、同ミニストリーを用いてくださるように、また、この地で救われ、弟子訓練を受けた信徒たちが、日本へそして世界中の国々へ遣わされてゆくことを切に祈り、日本に帰国しました。夫妻はその後も、RHCCとは神の家族としてつながっています。

 

◆牧師招聘祈り会に答えられた主

 

宇野牧師夫妻が帰国の後、しばらくの間は無牧の状態となりました。この間、聖日礼拝のメッセージは、教会のアンディー・ノック牧師、辻本牧師(北米ホーリネス教団引退牧師)、上野牧師(ぶどうの木国際教会牧師)、そして日本語ミニストリー信徒代表である金成兄の四人が、ローテンションで取り次ぐことになりました。牧会は、金成兄と宣教奉仕チーム(ミニストリー・チーム)が引き継ぎました。

宇野牧師夫妻が帰国される前から開始した『牧師招聘祈り会』では、以下の四つのことを中心に祈りました。第一に、主イエスに対する熱い情熱を持たれた方。第二に、健全な聖書信仰を持たれた方(第二テモテ3章16節)。第三に、チーム牧会に賛同できる方。第四に、三十代か四十代の若い牧師。

哀れみ深く、愛と恵みに満ちた神様は、これら四つ全てを満たした寺嶋伯文牧師を二〇一三年二月にお与えくださいました。宇野牧師が牧師招聘のために私たちに残してゆかれたみことば、ヨハネ3章27節が見事に成就致しました。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。」

神様の尊い御名を崇めます。

全員写真

2013年3月。前列中央は、2月に就任した寺嶋伯文牧師とご家族。

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