John

この当時、結婚式というのはとても盛大にお祝いされました。

たくさんの人たちを招き、たくさんの食事を振る舞いました。

どのくらい続くのかは、その食事を主催している側の家がどれだけ裕福であるかによって違ったそうですが、平均的には大体2日間から1週間続きました。

長い例では、2週間続いたこともあったそうです。

この時、イエス・キリストも、また母もこの場に招かれていたということは、おそらくここで式を挙げていた新郎新婦は、イエス・キリストに近しい親戚だったのではないかと言われています。

さて、このカナという地は、イエス・キリストの出身地、30歳で福音の働きを始めるまで、幼い頃を過ごした町、ナザレのすぐ北にありました。

とても近い町です。

天気が良い日は、カナの地から、ナザレの町が見えた、といわれるくらい、近い所にありました。

この結婚式に、イエス・キリストの母、マリヤがいます。

そして、イエス・キリストと弟子たちも一緒に参加しています。
一説には、十分な食事をもってもてなしを受けることのできなかったゲストは、そのパーティのホストを、訴えることもあったそうです。

それくらい、結婚式の席で、ゲストに出す食事が足りなくなる、というのは、当時の文化では、とても恥とされていました。

そんな中で、ぶどう酒が切れます。

そこで、母親は、イエス・キリストにこのようにワインがなくなったことを告げます。

すると、イエス・キリストは、このように答えます。
ヨハネ 2: 4
すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

 

「女の方」。日本語に訳すと、とても冷たく聞こえるかもしれません。

これは、ヨハネが記したギリシャ語では、”グナイ”という単語です。

直訳すると、「女性」という意味です。

当時のユダヤ人文化において、女性に呼びかけるときに用いられる言葉、”グナイ”、これは、女性に対するとても丁寧な呼びかけでした。

公式の場で、その女性を立てる響きを持つ、とても、とても丁寧な呼びかけです。

決して、冷たい突き放したニュアンスはありません。

一方で、実の母親に対して呼びかけるには、少しばかり、かしこまった、むしろ他人行儀なニュアンスではあります。

なぜ、イエス・キリストは、マリヤをこのように呼んだのでしょうか?

イエス・キリストは、こうも言いました。

「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。」

これを、オリジナルのギリシャ語を直訳すると、文字通り訳すと、こういう意味になります。

「何が、あなたと私の間にあるのでしょうか?」

これは、ギリシャ語の慣用句、独特の言い回しです。

つまり、「あなたと私の間に、何か共通するものがありますでしょうか?」という意味です。

イエス・キリストは、マリヤのことを、「お母さん」ではなく、丁寧に女性を呼びかける言い方で呼びました。「女の方、lady」。

そこには、息子と母、といった、親子関係のニュアンスはありません。

あるのは、神と、一人の女性という関係です。

またイエス・キリストは、こうも言いました。

「私の時はまだ来ていません。」

この台詞も、ヨハネの福音書で何度も出てくる表現です。

イエス・キリストは、天の父から与えられたスケジュール、この天地が造られる前から、計画されていたスケジュールに従って、ご自身の働きを行っていました。

つまり、ここでイエス・キリストは、マリヤに対して、Lady、女の方、と丁寧に呼びかけ、そのうえで、自分とマリヤは、息子と母親ではなく、神と一人の人間、1人の女性であることを強調します。

そのうえで、こう言います。

神である自分は、神のスケジュールに従って働きを行います。

イエス・キリストの救い主としての、働きはすでに始まっています。

一方で、もはやマリヤは、母親が自分の息子に接するように、神、救い主、イエス・キリストの福音の働きに関わることはできません。

ぶどう酒が無くなったということを、母親から言われた息子が、母親のために何か行動を起こす、ということではありません。

イエス・キリストは神の計画に沿って、その働きを行ないます。

その神の計画において、1人の人間であるマリヤは、関わることはできません。

つまり、イエス・キリストはマリヤを冷たく突き放したのではなく、「ぶどう酒が無くなったなんて自分には関係ないことです」、という言い方をしたわけでもありません。

イエス・キリストは神であって、神の計画に沿って全ての事を行います。

それが、この台詞に込められた意味でした。

 

 

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1 Comment

  1. 通読は何度目かですが、今回この箇所を読んで初めてのり先生のこの解説のとおりだと気がつきました。マリヤが手伝いの人に「あの方の言われることをなんでもしてあげてください。」と言ったのを見た時、「あの方」とマリヤが言ったのは、「あなたのとって私は誰か?」と問いかけるイエス様に対する「私の神、私の救い主」という信仰告白でもあると気がつきました。イエス様は今日も私に「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう?」と聞いておられますね。

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