2017年のサマーバイブルキャンプのテーマは、「愛処 和み茶屋」でした。

舞台の上には、セットが用意され、連日「和み茶屋劇場」が上演されました。

今年は、大阪の吹田聖書福音教会から5名のスタッフを迎え、大阪弁も学び、大きな助けをいただきました。

 

私たちは、生きるために愛が必要です!

でも私たちの愛は、完全ではなく、時に愛が渇いてしまい、愛したいのに愛せない、優しくしたいのに反対のことをしてしまう、良い子になりたいのに、つい嘘をついてしまうことがしばしばです。

完全な愛は一体どこにあるのでしょうか?愛の源はどこにあるでしょうか?そして、なぜ私たちは、愛を表すことができないのでしょうか?

今回のテーマである「愛処 和み茶屋」では、真実の愛とは、愛の源は、そしてそれを邪魔しているものとは、ということを学んできました。

日本のお茶会には、愛と平安が詰まっています。

日常の中に愛や平安がない私たちは、このようなセレモニーが必要でした。愛と平安を求める心が私たちには備えられています。それは、神が私たちをそのように造り、私たちは気がつかなくても、神は私たちをいつも愛しておられるからです。

 

 

神様は私たちを造り、とても愛しておられるのに、どうして私たちは、神様に気がつかず、神様を知らないのでしょうか?

それは、私たちには、神様の愛の関係を邪魔している罪というものがあるからです。

神様には、罪が一切ありません。神様は聖いお方です。

私たちは、最初の人であるアダムとエバの子孫なので、みんな生まれた時から罪を持って生まれてきます。ですから、愛を邪魔している罪を持っている以上、つい悪いことを考えてしまったり、憎んだり、比べたり、怒ったり、自分を一番にしたり、自己喪失に陥ったりなどの思いから解放されることはありません。

愛の関係を取り戻すには、一体どのようにしたら良いのでしょうか?

聖書は神様からのラブレターと言われています。神様の愛が詰まったベストセラーの本です。

 

私たちをこよなく愛しておられる神様は、素晴らしい方法で、愛の関係を回復してくださいました。

 

私たちを罪の中から救うために、神の子イエス様を地上に送り、全世界の全ての人の罪の罰を全て身代わりに負ってくださったのです。私たちが受けなければならない永遠の死(神に会うことできない)の罰を全て十字架の上で受けてくださったのです。

 

一人一人自分の罪を書いて十字架に貼り付けていきました。たくさん貼り付けた子どももいます。絶対誰にも見せないでねと言って貼り付けた子どももいます。自分では悪いことは悪いとわかっていても、それを隠し、やってはいないといい子に見せようとしてしまう自分がいます。

 

 

「今日の罪は、十字架に貼り付けたけれど、また明日も罪をやってしまうと思うけど、どうしたらいいの?十字架がうちにはないけど〜。」とある子どもが言いました。

イエス様が自分の罪のために十字架にかかってくださったと信じる人の心の中には、イエス様がずっと一緒に住んでくださるから、心の中のイエス様にその日その日の罪を話して、ごめんなさいと謝り、心の中の十字架に釘付けにして、私を赦し変えてくださいとお祈りをすれば良いということを話しました。

 

大人も子どもも、みんな罪があり、毎日罪を犯してしまいます。けれど、その罪をそのままにしておいては、私たちは、人と人との関係も上手にはできなくなってしまいます。人と人との関係にも愛は必要だからです。自分の罪がわかり、罪が愛を妨げていることを知って、全ての罪を赦すことができるイエス様の十字架に自分の罪を釘付けにする以外に、愛の関係を持ち続けることはできません。

 

 

 

私たちには、恐れや心配が常にあります。神様には、恐れや心配は一切ありません。

神の愛は恐れを締め出す強い大きな愛だからです。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」第一ヨハネ4:18

そのような愛が自分の心の中に住んでくださり、一度信じたならば、永遠に一緒に居続けることができるのです。

「神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

 第一ヨハネ4:16

ありがとうございました!

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