1corinthians

1コリント 13: 4-8

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

 

私たちが生きている中で、受け取る感情の中で、愛は、おそらく 一番素晴らしいものでしょう。

それを自分が受け取る時、自分は尊い存在であり、受け入れられていることを知ることができます。

自分は、その人にとって大切な存在であることを知ることができます。

1コリントの13章において、パウロは、ただ単に愛の定義を書き記しているのではありません。

愛が、どのように働くのかを書き記しています。

 

ここを読んで、これが自分の愛があるべき姿だと知るとき、励まされるでしょうか?

それとも、そんなのできないと思うでしょうか?

 

特に、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍ぶと書かれている時、それは、ひとつ残らずすべてのものを意味します。

そんなの不可能だとさえ、思うでしょうか?

 

そうです。

不可能なのです。

 

ここは、これを読んで「よぅし、私には、すべてを信じて、すべてをがまんすることは、もうすでにできているから、あとは、すべてを期待して、すべてを耐え忍べば、あとは、もう私の愛はパーフェクトだ!」と、自分を奮い立たせる箇所ではありません。

 

(もしも、そう思ってしまったとしたら、それは4節の「愛は高慢になりません」の部分が足りていない、何よりの証拠かもしれません(苦笑)

 

むしろ、ここは、神の愛の完璧さを垣間見て、「自分には、そんな愛は無い。だから、私には、神の愛が何よりも必要だ」と気づくべき箇所です。

 

パウロは、言っています。

 

愛を求めなさい。(14:1)

 

聖書では、愛とは何であると書かれているでしょうか?

愛とは、神です。(1ヨハネ4:8)

 

私たちが、人を愛する時、それは神の愛を受け取って、それを他の人たちにシェアしているのです。

ここに書いてあるパウロのことばを、私たちが守るための第一歩、それは、まずは私たちが、神に、どれほどまでに愛されているのかを、しっかりと知り、受け取ることです。

 

その時、神の愛で満たされた私たちの心から溢れ出る神の愛が、私たちと接する一人ひとりの心に流れ込んでいきます。

 

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