祈りとは、神から私たちに与えられた特権です 神は、私たちの心の内を、神のもとに持ってくることを望んでおられます しかし、時として、私たちは、祈りについて、色々な疑問を持ってしまうことでしょう   もしも私が祈らなかったとしたら、神の計画が何か変わってしまうことはあるんでしょうか?   神にとって、私たちの力が無ければできないことは、何ひとつありません 私たちが祈っても祈らなくても、神の計画は、神のタイミングで神の力によって成就されます ...

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James

  ヤコブ 1: 2 私の兄弟たち さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい   もしも、あなたが、ここを読むたびに「一体どうやって!?」と首をかしげてしまっても、それは、不思議はありません そもそも辛くて苦しいからこそ試練であって、試練が楽しければ、それは試練とは呼ばないのではないですか? 試練と喜びは、同じセンテンスにおさまらないのでは無いですか?? それが、私たちの視点でしょうか   一方で、ここでヤコブが言っているのは、神の視点です ...

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devotion 19

  ヘブル 12:10-11 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます   神の子どもであれば、その人は、必ず天のお父さんの懲らしめを通ります それは、天のお父さんが、私たちをいじめて喜んでいるのではありません それは、私たちの古い自我が砕かれ、私たちの中に、キリストのキャラクター(品性)が練られて生み出されるためです ...

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Hebrew

モーセの人生は、先が予期できない出来事だらけでした どんどん増えるヘブル人がエジプト王朝にとって脅威と見なされていた時に、モーセはエジプトで生まれました エジプトの王は、ヘブル人に男の子が生まれたなら殺せと命じます (出エジプト記1:22) モーセを守るために、彼の家族は、モーセが王朝の手で育てられる手はずを打ちます (2:1-10) モーセが成長した頃、彼は故郷を逃げるように離れて暮らすことを余儀なくされます ...

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Hebrews

ヘブル 10:19-22 こういうわけですから、兄弟たち 私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか ...

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Hebrew

  ヘブル 9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです   血を流すという描写が好ましくないと思われる方もおられるかもしれません 「それは、本当に必要なのでしょうか?なぜ、神は、ただ単純に、罪を赦してくれるだけで、すませることができないんでしょうか?だって神は全能でなんでもできる方で、愛の方なんでしょう??」   まず神は聖なる方です つまり罪を正しく裁かなければいけません ...

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Hebrews

ヘブル 9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう   私たちは、イエス・キリストが自分の罪のために、十字架の上で血を流し、命を捧げてくれたことを信じる時、イエス・キリストの血潮によって全ての罪が覆われます その時、私たちは、この地上に生きていながら、神の目的のために聖められ、この世から取り分けられます そして、神の目的のために内側から変えられていく過程が始まります そのプロセスは、イエス・キリストを救い主として信じた瞬間から始まり、この地上での時間を終える瞬間まで続きます ...

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聖書にはまた、神は人類に対して、一つの大きな計画を持っていることが記されています   エペソ 1:10 時がついに満ちて、実現します いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです   この天と地と全てのものを造った神が、やがてその完全なる統治を、全てのものの上に明らかにすること、それが神の計画です   エペソ 1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです ...

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  聖書は、どうやって、一冊の書物と言えるのでしょうか? 聖書に記されている出来事は、何千年も離れている出来事です しかも、異なる文化や言語で書かれてもいます それらは、ただ単に歴史の出来事をひとまとめにしたものではないのでしょうか? どうやって、それが、一冊の書物であるといえるのでしょうか?   まず聖書が一冊の書物である証拠は、その著者が、一人であるという点です 聖書の著者は、神です そして、聖書には、神が意図したことが、記されています ...

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