野の獣とともにおられたが

  マルコ 1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた 野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた   マルコの福音書だけが、イエスキリストは荒野で、野の獣と一緒にいたと記しています これは、一体どういう意味でしょうか?   1コリントの手紙では、もともと神に造られた最初の人間であったアダムと対比して、イエスキリストは、最後のアダムと呼ばれています (1コリント15:45,47)   最初のアダムは、神と一緒に生きるよりも、自分が自分の人生の神になることを選び、罪を犯し、神とのリレーションシップを失いました ...

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あきらめたマルコ

  さて、ヨハネマルコが、パウロとバルナバの働きに加わり、キリストの愛と赦しの十字架を伝える旅を続ける中で、サラミスにつく頃、マルコはここで、パウロとバルナバから助手としての役目を任されます (使徒13:5)   若いマルコは、このような大切な役目を任されて、おそらくエキサイトしたことでしょう これまでの熱心な働きが認められて助手とされたのですから   ところが、この後、島全体をまわり、パポスまで行ったところで、バルイエスという偽預言者に出くわします (使徒13:6) このバルイエスは、当時の総督セルギオ・パウロのもとへ、パウロとバルナバを連れていき、話しを聞かせようとします ...

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ヨハネマルコの記した福音書

  マルコのフルネームは、ヨハネマルコといいます ヨハネとはヘブル語であり、マルコとはギリシャ語です   初代教会の頃、おそらくマルコは、母と一緒にエルサレムに住んでいたものと思われます 母マリヤは(マリヤというのはこの当時よくある名前のひとつでした)自分の家を開き、イエス・キリストを信じる人たちが集まる場として提供していました (使徒の働き12:12)   この時に、マルコは、キリストの弟子たちと共に時間を過ごしました ...

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心配したりしてはいけません

  マタイ 6:25 だから、わたしはあなたがたに言います 自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか   Stuart Scottは、私たちの悩み、思い煩いを、神のみこころに沿った思い煩いと、自己中心的な思い煩いとの2つに分けて説明しています   神のみこころに沿った思い煩いとは、私たちが神のみこころに従うために、目の前の状況の中で、悩み、葛藤し、熱心に主に祈りながら、主のみこころをたずね求める思い煩いです ...

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御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです

  ヨハネ 3: 8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない 御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです 」   私たちは、風を見ることはできません 風がどこから吹いてきて、どこへ吹いていくのかを端から端まで、全部完全に目で見て把握することはできません しかし、風が吹いている証拠は明らかです ...

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イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった

  ヨハネ 2:23-25 イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、 また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである   聖書で記されている「しるし」という言葉は、人の目から見たら不可能に見える奇跡という意味です   ヨハネの福音書によると、イエスキリストは、たくさんの「しるし」を行いました ...

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信じること、信仰

  旧約聖書では、「信じる」という意味のヘブル語は、「固く立つ、信頼する、ある物事について心から確信を持つ」という意味です   創世記15:6 彼は主を信じた 主はそれを彼の義と認められた   これはつまり、アブラハムは主がアブラハムに約束したことを心から信じて、その約束を確信し、固く立ったという意味です   同じ意味は、ハバククの言葉にも表れています ...

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二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる

  イエスキリストの十字架のコンセプトは、旧約聖書の中でも何度も出てきます レビ記においても、そのことが描かれています   レビ記 16: 5-10 彼はまた、イスラエル人の会衆から、罪のためのいけにえとして雄やぎ二頭、全焼のいけにえとして雄羊一頭を取らなければならない アロンは自分のための罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする 二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる ...

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主のすばらしさを味わい

  詩編 34: 8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ 幸いなことよ 彼に身を避ける者は   イエスキリストが自分の罪のために命を捧げてくれたおかげで、自分の罪が全て赦されたことを信じる人は、そのように信じた瞬間、主のすばらしさを味わっています   しかしながら一方で、自分の味覚(趣向)は、これまで自分の好きなこと、自分にとって良いと思えることを追い求め続けてきた味覚のままです ...

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Redemption 05

  Mike Wilkerson “Redemption”より   イエス・キリストの十字架を信じて、救いを受け取り、愛と赦しを受け取った私たちは、その後どのようにして、神のミッションを推し進めていくことができるのでしょうか?   その4つ目のことは、神の愛を目に見える形で表すことです   あなたを罪から救い出すために、神イエス・キリストは、その光をもって、罪の暗闇の底にまで下ってくれました 全く罪の無い天の高い所から、あなたのために、罪であふれた世界へと降りてきてくれたのです   そこまでしてくれた神の愛と赦しを受け取ったあなたは、では今度は、自分の居心地の良い所を離れて、まだ神の愛と赦しを知らない人たちのために、一体どこまで出ていきますか?   あなただけではなく、あなたのまわりにいる人たちは、誰もがこの罪であふれた世界の毒に触れられています 誰もが、罪の結果傷つき、そして罪に捕らわれたままです ...

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